文筆家・「隣町珈琲」店主

平川 克美野元 義久

“文明移行期”にある今、
経営者に備えて欲しい視点

HOMETalks“文明移行期”にある今、経営者に備えて欲しい視点

起業家であり、多数の著書をもつ文筆家、経済学を教える大学院教授、そして地域の学びの拠点であるカフェ「隣町珈琲」店主と、幅広く活躍してきた平川克美氏。そんな平川氏の著作のファンであり、隣町珈琲の常連客である野元が、これからの時代を生きる経営者としての教えを請いたいと切望し、平川氏との対談が実現しました。

歴史上、はじめての状況にあることを認識し、「さあ、考えよう!」

野元
平川さんは、現代社会の本質を突く評論から、自らの介護経験を描いた物語まで、たくさんの書籍を上梓されています。私は何冊も読んで学ばせていただきました。ご著書では、問いを投げかけ、豊富な情報を提供されていますが、“こうしなさい”という答えは出されないですよね。いつも「自分で考えろ」と言われているような気持ちになります。
平川
そうなんです、だから売れない(笑)
野元
いや、売れていますって(笑)。会社経営のご経験をおもちだからか、文章に血の通っている感じがします。
そして、近年は大学院の教授も務めていらっしゃいましたね。
平川
はい。10年間、立教大学社会人大学院ビジネスデザイン研究科のMBAコースで授業をもち、銀行家やファンドマネージャー、大手企業役員、編集者など多様な方々に受講していただきました。そこでも講義スタイルではなく、みんなで考えるということを徹底的にやる。それが受講者には驚きだったみたいで、わりと好評でしたね。
野元
その講義内容が基になった書籍『株式会社の世界史』も、たいへん興味深く読ませていただきました。前半は株式会社が生まれ出る瞬間を時代背景から生々しく伝え、後半は株式会社が元来もつ病理を浮き彫りにする内容です。自分も株式会社を経営する1人として非常に考えさせられた一冊です。大学院ではどんな授業を展開されたんでしょうか。
平川

一言で言えば、株式会社のこれからを考えるものでした。

これからを考えるには、まず今ある現実を正しく認識することが必要です。しかし、経済書をたくさん読んでも短期的なスパンで考えられたものばかりです。では、外から資本を調達する「株式会社」という仕組みはいつどうやってできたのか、なぜ人間はそんなものを発明したのでしょうか。

株式会社の始まりはイギリス東インド会社だと言われていますが、実質的に株式会社の形態が広がったのは、産業革命による需要拡大に対応するための資金調達が必要となった1825年以降です。たかだか200年の歴史しかありません。少なくともその歴史は押さえないと、今起きていることはわからないのではないでしょうか。

野元
私自身、株式会社のシステムを“当たり前”としてきましたので、ドキッとさせられる話ですね。
平川

その歴史を押さえたうえで、今何が起きているかに目を向けるんです。そこで使うのが人口動態のグラフです。日本人の総人口は2008年をピークとして、2011年以降は減少の一途をたどっています。ポイントは、江戸時代や平安時代まで遡っても、このような減少は見られないということ。我々は今、歴史上初めての場所に立っているのです。

これまでの金利や年金など様々な社会システムは、人口増加する社会を前提として作られたものです。その前提条件が反転したことで、従来のシステムは全部お釈迦になるかもしれません。株式会社という仕組みもその一つです。

こうした前代未聞のことが起こる時代を文明移行期と言いますが、そういうときはたいてい元に戻そうとする力が働き、適した方向に向かうまで30年から100年の間、移行期的混乱が起こります。文明移行期とはどういうものなのか、そのなかで株式会社とは何だったのか、そこを理解すると株式会社がビジネスの文脈でなく語れます。

平川 克美氏

野元
これまでは有効とされてきた株式会社のシステムは、需要と供給のバランスが反転していくなかでも成立し続けられるのか…。
平川

原理的には、もう成功させるのは難しい。「さあ、そこで考えよう」ってことなんです。

人口が増えすぎることが問題だった時代の事例も、「成長戦略」や「選択と集中」といった今までのターミノロジーも、実はすべて役に立たない。そうなったとき、本当の思考が始まるんです。

“程度”の問題を“二者択一”の問題にすり替えてはならない

平川
株式会社がエンジンとなって築かれた右肩上がりの時代は、我々を文明の進展の波に乗せてくれました。そこで得たものは数多く挙げられます。その一方で、失ったものは何だったのでしょうか。ここで注目したいのが「楕円幻想論」です。
野元
ご著書『21世紀の楕円幻想論』で登場した考え方ですね。
平川

「楕円幻想」は、花田清輝という作家が戦時中に書いた『復興期の精神』というエッセイのなかに登場する言葉です。ルネサンス期の詩人フランソワ・ヴィヨンを題材にして、近代以前と近代以降という2つの時代のはざまを、2つの焦点をもつ楕円に擬して描いています。

題材となったヴィヨンは、聖なるものを表現する詩人であると同時に、窃盗や殺人も行うゴロツキでもありました。そのどちらもヴィヨンです。人は誰しも、例えば強欲な自分と慈悲深い自分など、相反する自分をもつものですよね。

著者の花田は、戦争終結を境にして軍国主義から反軍国主義へと一気に振れていく時代を生きました。そのなかで、価値観がまったくの正反対にひっくり返るというのは、楕円の2つの焦点のどちらかが無くなることではなく、2つの焦点が近づいていって、あたかも月蝕や日蝕のように、1つがもう1つの裏側に隠れて見えなくなった状態だと考えたのです。

楕円の2つの焦点が近づいていって重なったとき、楕円は真円になります。人は誰しも真円、つまり明確なロジックで語れる世界に憧れるものです。しかし、裏側に隠れているものにも目を向けて、楕円のまんま世の中を説明するのが現実的だろうと思います。

平川 克美氏

平川
世の中の問題は、たいてい「〇〇に賛成か・反対か」といった “二者択一”で論じられます。それを、2つの焦点をどの位置に置くかという“程度”の問題として考えてみる。そうした思考法の転換によって見えてくるものもあるはずです。
野元
なるほど。今、経済合理性を重んじる社会に対するアンチテーゼとして新しい試みをする方が増えていますが、アンチが行き過ぎて攻撃になるのを見ると冷めた気持ちになってしまうのは、二者択一の思考法への違和感だったのかもしれません。
平川
1つだけの絶対的な価値観があるわけではないので、その時々に応じてどこに自分を定めるか。それが現実を正しく見るということではないでしょうか。

いかに「私有制」から逃れるか

野元
会社経営者としてのご経験についてもお聞きしていきたいと思います。最初の創業は翻訳会社ですね。
平川
プー太郎から始めた会社ですが、社訓に「面白がる精神」を掲げたら、社員たちも面白がってやってくれていましたね。
野元
こちらの会社は、私が平川さん同様に尊敬する内田樹さん(神戸女学院大学名誉教授)と一緒に立ち上げられたとか。
平川
はい、内田君は盟友です。11歳のときに同じクラスになって知り合い、その十数年後に再会して「一緒に会社でもやるか」みたいな話になったんです。その後、彼が大学の世界に行ってもつき合いは続き、いくつか共著も出しました。お互いにコピーライトを主張しない、「相手が言った話を自分が言ったことにしていい」みたいな関係になっていますね。
野元
素敵なご関係ですね。その会社を経て、内田先生は大学の世界に行かれ、平川さんは国内外でいくつかの会社に携わってご活躍されました。
平川
会社は数年前にすべて清算しました。その1社がものすごい借金を抱えていて、引き受けて一文無しになりました。でもね、ちょっとさっぱりした気持ちになりましたね。

平川 克美氏

平川
遊びでつくったコーヒーショップだけは残ったんです。でも、それが立ち退きを求められたとき、移転費用が無くてどうしようかと思ってTwitterで募ったところ、あっという間に資金が集まりました。だからこの店は100%“贈与”で成り立っています。私は店主ではあるけれど、実質的な所有権はもっていないし、主張するつもりもない。それが私の新しい生き方です。
野元
まさに、ご著書にも書かれている「贈与経済」ですね。
平川

そう。この間に私が挑戦してきたのは、私有制といったものから、どうやって逃れるかです。人はそれを実現しようとするとたいてい、山小屋にこもってシンプルライフをするといった、何も持たない方向を考えます。しかし、そうじゃない、「私有」の反対は「共有」だと。「共有地をつくる」というのが、私の挑戦なんです。

共有地というのは、先ほど話したような需要と供給のバランスが反転した時代には、すごくフィットした形態だと思います。その視点で町を歩いてみると、共有地ってたくさんあるんです。若い子たちも銭湯を利用していたり、その隣にコーポラティブハウスがあったり…連携していろんなことやろうとしています。コアになっているのは銭湯や書店、道場みたいなところで、金はないけれど共有地を介して連携すると面白いことが起こる。今の時代だからできるんですね。

会社という場は本来「共有地」

野元
「隣町珈琲」は本日の対談会場として使わせていただいていますが、単なるカフェではなく、トークイベントやライブも開催される、いわば地域の学びの拠点ですよね。私も時々利用させていただいています。ここを共有地たらしめるために、平川さんが大切にされていることはありますか。
平川
自分のこだわりで固めるのではなく、好きではないものが置かれていても許容する、自分で処理できないものも置いて散らかしておく、ということでしょうか。全部自分好みにしようとすればできるけれど、そうした場は押し付けられた感じがして、どこか息苦しいものです。もちろん自分のもの、例えば私はもの書きとしてはすごくこだわっていて、ときには編集者と喧嘩にもなります。でも、共有地まで自分のものにする必要はないと思っています。
野元
それは、我々のような経営者も、自分の会社を共有地としたいならばそういう姿勢が大切ということでしょうか。
平川

そうですね。僕が若い頃、大会社にはたいてい「健全なる赤字部門」がありました。本業とは異なるちょっとヘンなことをやっていたけれど、時代が変わるとそのヘンな部門が興隆していって屋台骨になったという例は少なくありません。赤字だからと切り捨てて本業だけに純化させると、一時的には利益が上がりますが、長期的に見ると失敗である場合が多いんです。共有地として、散らかしておくことも大切ではないでしょうか。

会社というのは本来、共有地なんです。どんなにオーナー色が強くても、幾分かは共有地と言えます。そして、そこが共有地であればあるほど風通しが良く、それが働く人たちのパフォーマンスの最大化につながります。パフォーマンスを阻む最たるものは「抑圧」です。抑圧せずとも、適材適所に置くことで1人ひとりの力を引き出すことができる。そういう人を「名経営者」と言うんです。

野元
共有地においては、報酬制度をどう捉えるかが難しいように思います。
平川

会社は生活の糧を得るところでもありますから、きちんと給料を出すのは当然です。ところが隣町珈琲は、スタッフはかなり安い給料でやってくれていますし、「バイト代払えないよ」と言っても「それでいい」と手伝いに来てくれる子がいます。それは、ここがなにがしか自分の財産だと思ってくれているからだと思うんです。

金でのつながりは金で切れるし、権力で集まったやつは権力で去る。そうではなく、自発的に「そこにいたい」と思わせるものがあると、これが結構強い。そうなったら共有地として成功です。

会社を“続けていく”ためのカギは?

野元
私は「職場を、チームにする」ことができる組織開発コンサルティングをやりたくてブリコルールという会社を創業したので、場を大切にするスタンスは、平川さんの共有地の考え方とつながるなと思いながらお聞きしていました。

野元 義久

平川

あなたの会社、「ブリコルール」とは良い名前ですね。フランス語で、その場にあるものを活かして新しいものを創りだす営みがブリコラージュで、それができる職人、器用人をブリコルールと言いますよね。

ブリコラージュは、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースが著作『野生の思考』で示した概念です。先住民族がそのあたりに転がっているものをとりあえず持ち帰って貯めておき、何かのときに使う様子を観察して、近代科学とは区別される思考形態について報告しています。

最近までの大量生産・大量廃棄の時代には、新しいものを買った方が安く手っ取り早かったけれど、少し風向きが変わってきましたよね。古い物もひょっとすると使えるかもしれない。ブリコラージュが注目される時代になってきたのではないでしょうか。

野元
ありがとうございます。とはいえ、文明移行期という激動の時代にあって、経営者には悩ましいことが多いですね。
平川

落語の「百年目」という演目を知っていますか。大店の番頭さんが仕事には厳しく真面目な人なんだけれど、こっそり隠れて芸者衆と花見に出掛けて遊んでいるところに店の旦那と出くわして、「ここで会ったが百年目!」と真っ青になるという噺です。翌日、クビになるかもしれないとびくびくしている番頭を呼び出して、旦那は番頭の仕事ぶりを褒め、栴檀(せんだん)とナンエン草の話をし始めます。

「昔、中国に栴檀という立派な木の根っこにナンエン草という草が茂っていて、汚いから刈り取ったところ、栴檀が枯れてしまった。実は役に立たないように見えたナンエン草が栴檀の肥やしになっていて、ナンエン草は栴檀が下ろす露で育っていたのだ」と、旦那と番頭、あるいは番頭と下の者たちの関係になぞらえて、お互い持ちつ持たれつであることを示唆するんです。だから、店の者にも露を下ろしてやってくださいね、と。

会社というのは様々な人間関係があるなか、お互い助け合っていますよね。意識しないとわからないけれど、その点を理解すると、仕事に対して違う価値が見えてくるのではないかと思います。

野元
なるほど。まさに人の中にもある楕円を共有地が包摂する、という感じがします。
平川
会社の営みというのは、金儲けのためだけにやっているわけではないですよね。もしそうだとすれば、とても悲しい、寂しいことです。そこにはなにがしか仕事を面白がる精神が必要です。
野元
自分自身はというと、とても面白く仕事をしているんですが、会社としては特に成長を目指してやっているわけではないんです。そんな弊社の現状に対しては、ずっと負い目のような感覚が残ります。
平川
会社はやっぱり「続けていく」ことが大事です。そのためには「流行らせない」ことですよ。「流行らない会社は廃れない」。これは生前交流のあったミュージシャン大瀧詠一さんの名言中の名言です。「流行り」は所詮、仕事の本質とは関係ありません。流行らないけど、やりがいがある。それが会社を続けていく秘訣ではないでしょうか。
野元

弊社も流行っているとは言えませんが、創業9年目を迎えます。この方向でいいんだ!と大きなエールをいただいた気がします!

本日はありがとうございました。

平川 克美氏×野元 義久

GUEST PROFILE

平川 克美(ひらかわ かつみ)

文筆家、「隣町珈琲」店主。1950年、東京・蒲田の町工場に生まれる。早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを設立。1999年、シリコンバレーのBusiness Cafe Inc.の設立に参加。その後、東京・秋葉原にリナックスカフェを設立。2014年、東京・荏原中延に喫茶店「隣町珈琲」をオープン。著書に『小商いのすすめ』『21世紀の楕円幻想論』『共有地をつくる』(いずれもミシマ社)、『移行期的混乱』(ちくま文庫)、『俺に似たひと』(朝日文庫)、『株式会社の世界史』(東洋経済新報社)など多数ある。

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