青山学院大学社会情報学部教授

苅宿 俊文野元 義久

知恵を生み出す場をつくる

HOMETalks知恵を生み出す場をつくる

異質さを面白がるリーダーが必要

野元
こんにちは。私が苅宿教授のワークショップデザイナー育成プログラムという講座を受講した2015年の回は、参加者も非常に多く、皆さん熱心に学んでいらっしゃいました。来年以降、さらに盛り上がっていくのではないでしょうか。
苅宿教授
まだ企画段階ではありますが、学校現場を含め、広く行政との連携も検討しており今後の展開が楽しみです。
野元
今回、改めて先生の講義メモを振り返ったり著書を読み直したりしました。数多くあるお話の中でも、最も私が感銘を受けたのは「社会構成主義学習観」という話についてです。企業組織としても学習し続けることは非常に大事なことですが、「できる」「わかる」を越えて「分かち合う」という学習観があることを多くの人がもっと学ぶべきだと思います。
苅宿教授
社会構成主義学習観の話は、1990年代のいわゆる実践共同体の研究からきています。実践共同体とは、集団への参加を通して、その集団が持っているその集団ならではの知識や技能を学ぶことが可能な共同体のことです。1993年にレイヴとウェンガーの「状況に埋め込まれた学習−正統的周辺参加−」が日本で翻訳・出版されたことをきっかけに注目され、2002年に「コミュニティ・オブ・プラクティス−ナレッジ社会の新たな知識形態の実践−」に引き継がれ、分かち合う、社会構成主義学習観と深い関係をもっています。学習は1人だけのものではなく他者やコミュニティ、社会、文化などとの相互作用で生まれていくものだとされています。実践共同体での学習は状況に埋め込まれた学習として、90年代半ば以降から、学校教育ではない学びを考えるときに利用され、企業のコミュニティ形成と学習として注目されています。日本を含め東アジアの教育では、先生を中心に授業を展開する国が多かった。そうした教育方針を重要としていた国々ではあまり受け入れられてこなかったけれど。
野元
企業の中でも、重要なことは上の立場の人が決めて下の立場の人はそれに従えば儲かる、という構造がありました。環境の変化もそんなにないし上の立場の人は経験もあるので、様々な事態に対応することが出来ました。しかしそれが、一様なことを上から下へ押し付けるという構造を作り出し、自分の言葉で考えられない、もしくは意見を言えない現場をつくってしまうことが多かったように思います。
苅宿教授
そうなってしまった原因は、これまでの日本のリーダー輩出のモデルにあると思う。戦後の日本経済の状況というのは、集約を非常に密にして効率性を重視してきた。効率性を重視する人材というのは簡単に言うと受験に適するのと同一条件で、同じテキストを同じ時間で効率よく処理できる、いわゆるお勉強がよくできる人のこと。そうした人たちがすごく重視されて、日本をひっぱってきた。そして更に戦後復興を遂げた後もそうした人たちが日本をリードしてきたから、それ以外のリーダー像というものが誰もわからなかった。効率を重視するという成功体験から、次の段階へ移れなかったんですね。90年代以降からは変わってくるはずなんだけど。もう少しすれば変わるのかな。トヨタとかソニーは経営者に外国籍の方々が入ってくるということで、色んな今までの当たり前に対する許容範囲が変わってきた。やはりリーダーが変われば、現場も変わるはずです。
野元
実は私も講義を受けてきた過程で、多様性をすぐに受け入れられない自分に何回もショックを受けました(笑)。「自分の多様化を深めなければ」と思っている一方で、演習の中で多様な価値観に出会うと、やはり驚きを隠せませんでした。
苅宿教授
会社や場をこれまでリードしてきた人は、どうしても自分の当たり前に固執してしまうことがあるのかもしれない。自分と異質なものを素直に面白がるまでに時間がかかり、「なんだこれは?!」という違和感が無意識に顔に出てしまう。リーダーがそれに気づかないままだと、リーダーが右を向くだろうと思うとみんなも右を向く、そんな組織になってしまう。だんだん管理職の顔を伺うようになってしまう。スタートした時はすごく新規性のある取り組みをしていたのに、2年も経つと管理職が好むような一様なやり方ばかりになってしまい、結果的にすごく陳腐なことばかりになってしまう。
野元
大きな企業でも、そのような事態は頻繁に発生しているのではないでしょうか。つい無自覚に排他的になってしまいそうになる自分を戒めながらも、それを丁寧に紐解いてく存在になりたいと考えています。

異質性の裏にある共通性を見出す

野元
私たちの話題で最近多いのは、多元社会の話でダイバーシティ&インクルージョンという言葉です。多くの組織は「一旦いろんな人をいっぱい集めました」という状況はできたが、どうやって活かしていけばいいのかわからない状況です。
苅宿教授
いろいろな人を集めてそれをどう活かしてしていけば良いのかわからない状況に対応するには、異質性の裏にある共通性を見出すことです。人は誰も成功体験を持っていると思うけれど、成功体験に埋め込まれた成功するための要素に着目すれば共通の部分を見出すことができる可能性があります。また、大きな成功体験をしたからといって、すべての成功体験のプロセスを知っているわけではなく、自分の成功した道筋にこだわりすぎて独善的になることが最も気をつけなければならないことです。ある年齢以降になった男性の中には、自分の当たり前を捨てられない人を見かけることがありますが、1つの成功体験に固執することで自らをシングルタスクにさせてしまっていることが残念です。最近感じるのは、女性の方が少しマルチタスクに対するフィット感が高いのではないかということです。バランス感覚が良かったり、フラットな関係がつくりやすかったりする女性を見るにつけ、そう感じてしまいます。 もちろん、すべての男性がシングルタスクというわけでもすべての女性がマルチタスクというわけでもありません。でもこの性差に埋め込まれた質の違いに注目していくことはとても大切なことだと感じます。

苅宿 俊文×野元 義久

離脱モデル型リーダーが
学ぶ組織をつくる

野元
講義の中でも何度も出てくる「F2LOモデル」は、自分のリーダーシップを自覚するにも他者のチーム組織を観察するのにも非常に有益です。私は“ファシリテーター=周りの人に問題解決をしてもらう屋さん”と言っています。他者を巻き込んで問題解決をしていくという構造はF2LOモデルに通じる部分があるかと思います。
苅宿教授
F2LOモデルというのは要するに学習として問題解決を捉えた時、その構成要素として最低条件これがないと学習が成立しないというのをワークショップの場に置き換えたもの。ファシリテーター(F)がいないといけないし、ラーナー(L、学習者)がいないといけない。また、ラーナー同士で相互作用がないといけないから単数ではなく複数(2)で。その活動となるオブジェクト(O)も必要。説明しやすいこととして用意しているので、説明しやすさを感じていただけているならありがたいです。
野元
ファシリテーターがラーナーに対して積極的に働きかけ続けるのではなく、どちらかというとファシリテーターはラーナーを見守っているような状態で、オブジェクトに対してラーナーが積極的にアプローチしていく状態をつくり出していけたらいいのではないかと考えています。
苅宿教授
ワークショップは、ナビゲーションをするファシリテーターを中心とせずに、常にファシリテーターがその場から離脱することを想定としている。ワークショップにおいては「学習とは学び手が中心である」という意識で設計されている。学校教育とは、ここが一番違う。学校教育においては、時に教え手の論理が中心になってしまっていますよね。
野元
企業においても、マネージャー自身が自分の力で頑張る、ということも必要だとは思いますが、皆に頑張ってもらい、学んでもらうということがマネージャーや組織のリーダーとして重要だと思います。それをF2LOモデルで見るととても分かりやすく説明できるのではないでしょうか。
苅宿教授
企業も学習行為を促進する場であるとするならば、その通りではないでしょうか。もう1つの見方は“センサー”が複数必要ということ。複雑な社会で営利の企業として、常にパラレルに幾つかの価値を見つけながらやらなければならないとしたとき、1人の人がものを見るよりも、複数の人が見た方がいい。これからの時代、非常にシンプルな課題にシンプルな答えで済むような仕事は、どんどんロボットに置き換わっていってしまうでしょう。人間でなければできないこと、それは即ちパラレル思考だと思うんですよ。そのパラレル思考のときに、マルチタスクが必要になってくる。そこでシングルタスクでこの道一筋でやってきた人が、この先どう展開できるかが微妙なんですね。40歳以上の、今までシングルタスクでやってきた人の、これからの身の処し方というか。ポストは減っていくのに、人と競っててっぺんとることしが考えられない人、自分の嫌いなことを排他する人、そういう人はいくら多様性と口で言っても、センサーが1個しかない。そこが正直今後は辛いな、と感じます。

ローカルでテンポラリーな
納得解を積み重ねる

野元
最後に、ワークショップデザイナー育成プログラムでお話されていた、納得解について聞かせて下さい。誰かに与えられた正解ではなくて自ら納得解を生み出していかないと、チームを動かしていくことができないということがだんだん増えていくと思います。今後の企業において非常に重要なキーワードだと思います。
苅宿教授
納得解っていうのはローカルでテンポラリーなもの。限定性が非常に高いということがわかっていないと、納得解を正解のごとく振り回す人が最近たくさん出てきて、それも困ったものです。「こういう時に、こういう場で、こういうメンバーで納得解が成立した」という背景をおざなりにして、納得解だけを取り出して「他に当てはめよう」とする人がでることは、困った状況だと思います。納得解と正解の違いは再現性の問題にあります。掛け算の答えは誰がいつどこでやっても同じで再現性が担保されているが、納得解は生鮮食品のごとく賞味期限が決まっているもの。その積み重ねが多様性なんだということをわかってないと、「答え出して終わり」ということになってしまいかねない。
野元
答えが出たことに満足してしまって、実行されたかどうか、変化が起きたかどうか、ということに目をつぶっている人がいるのかもしれません。
苅宿教授
くれぐれも気をつけなければいけない考え方ですね。納得解の本当の役割は、納得解を出すことがスタートであり、納得解を出すことがゴールではない。ブリコルールの皆さんがもし納得解という言葉を使っていくのであれば、そこをしっかりと伝えていって欲しいですね。納得解を実現していくことに、まさにファシリテーションが必要なんですということですよね。
野元
まさに、その通りだと思います。ワークショップデザイナー育成プログラムで学んだ内容は、私たちの事業にとっても非常に重要なテーマで、今回の対談を通じても本当に学びの多いお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

GUEST PROFILE

苅宿 俊文

青山学院大学社会情報学部教授。モンゴル国立教育大学大学院博士課程修了。Ph.D.(教育学)。18年間の小学校教諭を経て、大東文化大学文学部教育学科専任講師、准教授を経て現職。ワークショップで使うリアルコミュニケーションツールを開発してグッドデザイン賞、メディア表現系のワークショップでキッズデザイン賞を受賞している。

一覧へ戻る