写真中央
写真左より
現会長である油原雄二氏の卓越したリーダーシップによって成長し、2023年に創立100周年を迎えた三穂電機株式会社。現在、会長の長男として会社を引き継いだ油原一博社長の下、企業理念の策定や人事制度の刷新などが社員主体で進められています。油原社長はどのような思いで社員主体の組織づくりを目指し、それによって社員の意識や行動にはどのような変化が起こってるでしょうか。100周年の節目を機にブリコルールの伴走によって取り組んだ約1年間のプロジェクトを、油原社長とプロジェクトメンバーの社員の声で振り返ります。
三穂電機株式会社は、コンサートやイベントの会場、映画やTVの撮影現場などに大容量の電源車と専任オペレーターの提供を行う会社です。そのルーツは大正時代に遡り、日本のエンターテイメントを「電源の供給」という側面で支えてきました。現在の同社があるのは、卓越したリーダーシップで会社を率い、業界では“レジェンド”と評される油原雄二会長をはじめとした歴代の社長の功績といえます。その経営を引き継ぎ、2019年に社長に就任したのは、会長の長男である油原一博氏です。
「子どもの頃から父には『お前はお前の道を行け』と言われていたので、私自身は会社を継ぐ考えはなく、ずっと別の会社に勤めていました。それがある時、父から『手伝ってほしい』と言われ、2013年に総務担当として入社することになったのです。入社後は何か特別な指導や教育をされるわけでもなく、自分なりに試行錯誤しながらやっていましたね」(油原社長)
総務担当としてさまざまな部署の社員と話し、悩みや不満も含めて聞いていくなかで危機感をもち、「幅広く点在する課題は評価されにくい制度が影響しているではないか」と考えた油原氏は、社長就任後に間もなく人事制度の見直しに着手しました。しかし、本当にやりたかったのは企業理念の見直しだったと言います。
「企業理念は社員がどの方向を向いて協力していくのか、どんな人材を採用するのか、現場で判断に困った時に何を拠りどころにするのかなどすべてにつながってきます。人事制度はもう限界だという焦りもあってスピード優先で取り組み始めましたが、本質的には企業理念が先だというモヤモヤがありました」(油原社長)
そんな油原社長の思いに寄り添い、企業理念策定に向けて共に歩み出すこととなったのが、エグゼクティブ・コーチとして定期的に話していた野元が率いるブリコルールでした。
「社長になった当初、やらなくちゃいけないことがたくさんある状況に呆然としていたところ、野元さんから『やれることがいっぱいあって良いですね!』と言われたんです。はっとしました。社長交代直後にインパクトの大きい取り組みには躊躇もあったのですが、本当にやりたいことをやる後押しをしてもらった気がしています」(油原社長)
折りしも2023年は創立100周年というタイミングです。「これを機に、新たな三穂電機としての理念を策定して社内外に発信し、力強い次の100年を歩み出したい」。そう考えた油原社長は、理念の策定・発信のためのプロジェクトチームを立ち上げ、社員主体で進めていくことに。先代たちの強力なリーダーシップが原動力だった同社において、社員が主体となって会社の方向性を決めていくなど、前代未聞です。「上手くいかないよ」と危惧する声も上がるなか、油原社長は強い意志をもって社員主体に舵を切りました。
「上っ面だけのかっこいい言葉を並べた理念では、社員には何も響きません。この会社は、社員みんなが汗水流して仕事をし、それに誇りをもってきたからこそ100年続いてきました。そんな現場を経験してきた社員の中にこそ、これからの三穂電機が大事にしていくことがあり、それが言葉になればみんなにも響くはず。だから、社歴の短い自分がトップダウンで決めるのではなく、現場社員の生の声、内側から出てくる思いを大切にしたかったんです」(油原社長)
プロジェクトは2023年3月より、企業理念を策定する1期、創立100周年記念イベントの企画・開催を行う2期という2段階の設定となりました。
プロジェクトメンバーは営業やサービス、技術など幅広い部署の中堅社員6人。1期は、ブリコルールが設計した全8回のセッションに沿って、理念の必要性の理解から始め、自身の経験や同僚へのインタビューから同社が大切にしてきたものをミッション・ビジョン・スピリットとしてまとめることがテーマとなります。
同社では外部のコンサルタントが入る活動は初めてで、社内でも対話や討議を重ねていくワークショップは実施していませんでした。メンバーの皆さんにプロジェクト開始当初を振り返ってもらうと、「面倒に感じた」「何も分からないから期待も不安もなかった」「付箋に意見を書けなんて初めて。何か試されている?と不審に思った」など、一様に戸惑いがあった様子がうかがえます。
なかでも最大の戸惑いは、「会社の理念をつくるのが、なぜ自分たちなのか?」ということでした。「上から言われたら『はい』と従うが普通で、自分がどうしたいとか考えていなかった」というメンバーたちにとって、会社の重要な方向性の決定に携わることになるなど想像もしていなかったのです。
何度か油原社長と率直な対話を重ね、プロジェクトでもブリコルールとのセッションを重ねるうちに、「違う仕事の方と話すのは新鮮で刺激をもらえるな」「最初の不安がどう変化していくか楽しみになってきた」といった前向きな気持ちが少しずつ引き出されていったようです。3回目のセッションで取り組んだ同僚へのハイポイントインタビューの感想を、メンバー最年少の鈴木一輝氏はこう振り返ります。
「普段あまり話題にならない、その人がしてきた苦労や仕事に対する思いなどを聞くことができ、みんな熱いんだなと思いました。それまで日々の業務に追われて自分の仕事を掘り下げたことがなかったので、とても新鮮に感じました」(鈴木氏)
しばらくはブリコルールのファシリテーションにメンバーが身を任せるかたちで進んでいたプロジェクトですが、ある時を境に、軸足がメンバー側に大きく傾きました。「一度俺たちだけで話さないか」。ワークショップ後、そんな声がメンバー内から上がり、ブリコルールが帰ったあとの会議室にメンバーだけが残りました。率直に心境を語り合うなかで出てきた結論は、「導かれるだけじゃなく、もっと俺らの言いたいことを言っていこう」というものでした。そのための方策としてメンバー内にリーダーを立て、よりメンバーの意思で動きやすい体制を自らつくることにつながったのです。
プロジェクト1期の様子
その後、プロジェクトは前進と後退を繰り返しながらも着実に進み、現場の思いを反映したミッション・ビジョン・スピリット(MVS)案が完成。メンバー全員で取締役員にプレゼンテーションを行い、正式な決定となりました。
現在、ミッション・ビジョン・スピリットは社員が日常的に目にできるところに掲示
プロジェクト2期のテーマは、決定したMVSを社員全員と共有する場として、創立100周年記念イベントを企画・実施することです。
実は、1期の進行中、周囲の社員にはプロジェクトの中身が見えにくく、メンバーも自分たちの活動をうまく説明できずにいたため、「何やら秘密のことをやっている。触れてはいけないのではないか」と遠巻きに見る雰囲気があったといいます。そのなかで2期からメンバーに加入した山本啓一氏の存在は貴重でした。
「MVSをつくった人と、できあがったものを受け取る人とでは、理解の仕方が違います。あとから参加した自分はせっかくほかのメンバーと違う視点をもっているのに、ただ『うんうん』と聞いているだけでは参加した意味がありません。『自分がわからないものは他の社員にも伝わらない。まず俺に伝わるように説明してほしい』。最初はそんなふうに呼びかけたのを覚えていますね」(山本氏)
100周年イベントに向けて、そもそもの開催目的と招待したい人の選定、振り返るべき会社の歴史の編集、MVSの発表方法や、余興のアイデアだしなど、検討することは山ほどありました。ブリコルールが後方支援するものの、通常業務を抱えながらの準備は思うように進みません。そのなかでメンバー自ら危機感をもち、ブリコルールが設定した会議以外にも何度も集まって話し合いをするようになっていきました。
しかし、そんな急を要する状況でも、安易な多数決で決めることはしませんでした。
「余興1つにしてもメンバーからは多様な意見が出るので、まずはそれぞれの意見をちゃんと伝え合うようにしました。時間はかかりますが、腹を割って話したことで、最終的に多数決で決まったとしても、みんな納得していたと思います」(松本圭司氏)
「会議の進行にメンバーの理解や納得感が追い付かないことも少なくありませんでした。ときには数回前に戻ってみんなで考え直すこともあり、メンバーの誰も置いていかない、全員で同じペースで進もうという雰囲気がありましたね」(小俣孝明氏)
そうして2024年2月、100周年記念イベントは、役員からのMVS発表から余興まで多彩な内容で開催されました。
100周年記念イベントで社員に語り掛ける油原社長
なかでもプロジェクトメンバーの心に残ったのは、MVS発表後に実施した全社員によるワークショップです。少人数のグループに分かれて車座になり、MVSを題材にそれぞれ仕事をするなかで、どんなことを大切にしているかについて対話を行いました。ファシリテーターを務めたのはプロジェクトメンバーの6人です。準備段階では社員がみんな冷めた反応だったらどうしよう…という不安があったメンバーも、当日は立ち上がって場をリードし、結果的に社員のみなさんは前のめりでワークショップに参加していました。
MVS発表後に全社員で取り組んだワークショップ
「絶対こういうのやらないタイプだと思っていた人も、自分の思いをちゃんと言葉にしていました。プロジェクト当初の自分の消極的な態度を思うと、当日初めて聞かされたMVSについて活発に対話ができる社員のみんなはすごいなと驚き、感動しましたね」(松本氏)
「みなさん非常に協力的に取り組んでくれました。やっぱり実施して良かったです。こんなふうに社員主体で決めたことを起点に会社が変わっていこうとするとは、今までなら想像もしていなかったことが起こってきています」(金井 久氏)
「これまで何かを決める側の立場に立ったことがありませんでした。今回、自分たちで会社として大事な決定に携わり、決めることの大変さを知ると共に、責任の重さを感じています。皆さんの反応を見て、トップからでも外部からでもなく、同じ職場で働く私たちが中心となって取り組んだことに意味があったように思います。周囲の皆さんにも刺激になっていたら嬉しいですね」(阿部かほり氏)
「これからの三穂電機は、先の100年を見据えて、役員、管理職だけではなく、社員全員で一緒にビジョンを掲げて、共通の将来の目標に進んでいく」という油原社長の思いが随所で醸し出された100周年イベント。そこには先代である油原会長の姿もあり、閉会後、安心したような表情で「完璧だった」と語ったといいます。
プロジェクトを牽引してきたメンバーは今、かつてとは異なる心境で仕事に向き合っています。
「以前は現場を回すのに必死の日々で、あまり将来の展望をもてずにいました。しかし、このプロジェクトに参加して自分の意見が活かされる手応えがあり、今後についても明るい気持ちで考えられるようになりました。今、仕事が楽しいです」(鈴木氏)
「周りの意見を聞こうという意識が強くなりました。部署内で何かを決定する時も、自分1人で決めるのではなく、メンバーと話して意見をまとめたうえで決定しています。また、会社全体を見ても、社員の『やりたい』で物事が動くことが増えた感触があります。これから会社がもっと面白くなるんじゃないかという期待があります」(松本氏)
共にプロジェクトを進めてきたブリコルールに対しては、「感謝しかない」「いると安心する」「気づくと社内会議の進め方はブリコルールさんを真似ていた」などの声が上がります。今後も共に社内へのMVS浸透と、新人事制度の実装に取り組んでいく予定です。約1年間にわたるプロジェクト1期・2期に区切りがついた今、プロジェクトメンバーの皆さんはそれぞれの思いをこう語ります。
「せっかく1年間かけてこれだけ良いMVSをつくることができたのだから、つくっただけで終わってしまっては意味がありません。まず僕らが動かないと浸透は進まないと思うので、これからが大事だと気を引き締めているところです」(金井氏)
「初期からのメンバーとして、今後もMVS浸透に責任感をもって取り組んでいきたい。上司も部下もいろんな人を巻き込んで力になってもらいながら、本当の浸透を目指していきます」(鈴木氏)
「プロジェクトメンバーの姿を通じて、多くの人が『社員主体で会社を動かすこともできるんだ、自分たちにも何かできるんじゃないか』と感じてくれたのではないでしょうか。自分たちが主体となることができるんだという意識をベースに、MVS浸透を図っていきたいと思います」(山本氏)
「営業部長としてMVSを日頃の業務やコミュニケーションのなかで伝えたり、自らの実践で示したりしていけば、きっと会社は良くなっていくはずです。実際に今、みんなの向かう方向や目指すものが寄ってきている感触があります。これからも意識的に伝えていきたいと思います」(松本氏)
「いくらお客様からの依頼があっても、いくら電源車があっても、現場に行く社員がいなかったら仕事はできません。その人たちが働きやすい環境を整えるのが、シフト責任者である私の役割です。みんなが少しでも気持ちよく働けるよう力を尽くしていきたい、という思いを新たにしています」(阿部氏)
「新しい人事制度が稼働していくなかでも、MVSが目標設定や評価のキーポイントとなります。社員のみんなが納得感のある制度を運用していけるよう、経営管理部としても丁寧に全力で取り組んでいきたいと思います」(小俣氏)
プロジェクト開始時、油原社長はこのような展開になる確信はもてていなかったと言います。
「社員主体のプロジェクトを実施するというブリコルールさんの提案に乗ったのは、半ば“賭け”でした。というのも、『コンサルティング会社は四次元ポケットみたいなものからポンと正解を出してくれる』と思っていたんです。ところがブリコルールさんのやり方は、プロジェクトメンバーでコミュニケーションを重ねるなかからエッセンスを抽出していろんなものをつくりあげていこう、と。最初は、遠回りではないかと感じました。実際、進んでは戻ることを繰り返し、時間はかかったかもしれません。しかし、だからこそ、自らエッジを飛び越えてからのメンバーの意識や行動が驚くほどに変容したのだと思います。期待以上の成果に喜ばしい限りです」(油原社長)
社員一人ひとりが当事者意識をもつ会社へと進化させる一方で、油原社長は先代たちから受け継いだ価値観を大切にしています。
「会長である父はオン・オフを明確に分け、家庭では会社の話を一切しませんでした。私は父の働く姿はほとんど見たことがなく、後継ぎとして特別な教育をされないまま大人になりました。しかし、私が今、社長として会社経営をしていくうえでの根本には、父の教えがあるように感じています。日常的な家族の時間のなかで父の言動から伝わってきた、人としての価値観や経営者としての道徳心などが、私自身の深いところに刻み込まれているのです。今後、制度や仕組みはしなやかにアップデートしつつも、根本にあるファミリーの価値観は変わらず大切にしていきたいと思います」(油原社長)
次の100年に向け、油原社長が目指すイメージは“筋肉質な会社”です。
「むやみに手を広げて会社を大きくしたいという考えはなく、技術者の集団らしく、ぎゅっと引き締まった塊でありたいですね。会長は個人のカリスマ性や発想力、技術力で会社を牽引し、業界で一定の評価を受ける存在でした。そのなかで築いてきた評価を一層高めるべく、私は自分なりの方法で筋肉質に鍛え上げていく。それが伝統を守るということではないでしょうか」
組織変革の3ステップにある“まず、充分な解凍に力を注げ”というセオリーを痛感したプロジェクトです。人事制度改定の前に理念を確認すること、成果物を急くのではなく勇気を持って立ち止まってみること、未来を語る前に過去の歴史に想いをはせること。そして信じ合える仲間を少しずつ増やしていくこと。新たにスタートした「スピリットの浸透活動」と「役職者のスキルトレーニング」でも、みなさんと共有したセオリーを大切に進めていきます。
「会社を良くしようと考えるべきは誰なのか?」の解は原則、「所属しているすべての人」であると私は置いています。一方で、会社や組織、己自身を変えた方がいい、変えたい、変わりたい、と潜在的に感じている方はたくさんいるはずです。この2つ「原則の考え」と「変革予備軍」に「場や機会」が加わった最たるケースが今回の三穂電機様の事例であったと思っています。上位下達の文化であった歴史ある会社で「プロジェクトを社員主体で進めたこと」、その内容が「ミッション・ビジョン・スピリット、といった会社の根幹となる領域であったこと」は、組織変革を考える上で、世の中の会社様すべてに可能性を見出せる、ダイナミック且つ、新しい試みであったと感じてならない、そんな尊い経験をさせて頂きました。