CASE #10 / 株式会社神戸屋

ファミリービジネス承継新たなリーダーシップスタイルにより、
承継を機に目的立脚で事業・組織を再編

HOMECASE株式会社神戸屋

「より良い食の“あたりまえ”を創造し、一人ひとりの生活の質を高める」をパーパスとし、1918年の創業以来、パン食文化を通じて、消費者の生活を豊かにしてきた神戸屋。その先頭に立つのが、35歳という若さで6代目社長を継いだ桐山晋さんです。桐山さんは次の100年を見据え、主力だった包装パン事業を譲渡し、直営店や冷凍パンなどを軸とした「食文化提供事業」へと大きく舵を切りました。

大胆な事業ポートフォリオの転換に取り組み、さらに事業戦略を後押しする人事制度改定や次の幹部育成にも着手。この大きな組織変革に、ブリコルールは人事・組織の専門家として伴走してきました。今もなお精力的に変革を進める桐山さんに、ファミリービジネス承継の舞台裏や家業への思い、そして、新たな組織づくりや今後の展望などについて伺いました。

淡々とした父の言葉に感じとった、次の100年を担う「創業家の責任」

野元
神戸屋は、1918年の創業から106年にわたり、日本にパン食の文化を広げてきました。その売上の7割を占め、黒字事業だった「包装パン事業を売却する」というニュースは多くの人を驚かせました。2021年の社長就任2年目に、老舗企業の第二創業ともいえる決断をされた桐山さんのことを、創業家に生まれ育ち、経営者になるための帝王学を叩き込まれてこられた人だと想像する方々も多いのではないでしょうか。
桐山
いや、まったく、そういうことはないんです(笑)。たしかに外からはそのように見られた経験も多く、子供の頃から創業家の一員であるという自覚はありましたが、あえて「自分は家業には入らない」という線引きをしていました。父や家族から会社を継ぐように言われたこともなく、実際、新卒で選んだ会社はIT系企業でした。
水田
そんな桐山さんが家業を継ぐことを決心されるにあたり、どんなきっかけがおありになったのですか。
桐山
社会人として経験を重ねるうち、事業を興し、それを受け継いできた先代の方々への尊敬の念が増している時期でもありました。直接的なきっかけは、父から食事に誘われ、自身が社長になるまでの経緯や、祖父が私の入社を切望していることを聞いたことです。寿司屋のカウンターの隣席で、淡々とした話しぶりだったのですが、創業家としての父や祖父が背負ってきた責任の重さが静かに伝わってきました。その日を境に家業に対する心境が変わっていくことを感じ、後日、父に入社の意思を伝え、半年後に入社しました。

桐山 晋氏

野元
「淡々と」の中に、創業家としての矜持を感じ取られたのですね。入社後は管理部門や店舗・製造現場を経験され、経営を学ぶための留学から帰国した後は、経営企画部で様々な課題と向き合われてこられました。その間、経営権を承継するということで意識されていたことはあったのでしょうか。
桐山

入社直後はとにかく吸収の時期と割り切る一方で、現場で感じた疑問や違和感、ギャップなどをノートに書き留めていました。会社に慣れきってしまう前の方が、客観的な視点で気づくことも多いと思ったんです。これが後に会社の課題抽出に役立つことになります。また、経営の知識に関しては、MBA取得や読書などで学びました。経営権の承継に向けた意識というよりは、会社のどこに課題があり、解決策を自分なりに考えて意識的に実務に活かすことを常に心がけていました。

たとえば、当社はもともと事業部制で、いわゆる縦割り文化の強い組織でした。これは変化の少ない市場環境のもと、安定的に供給責任を果たすことには長けているのですが、変化の激しい時代に、社内が連携して新しい価値を生み出す必要があるとなると、途端に機能不全になります。そこを打破するには、まずは部門長同士が協力し合う機会が必要だと思い、経営企画の立場を利用して「オンラインストアをやりたいので力を貸してください」と無理やり集まってもらいました。元々部門間でコミュニケーションをとる機会も少なく、自部門を守る意識が強かった部門長も、会社を良くしたいという思いは共通しています。オンラインストアでその機会をつくり、新たな価値を創出するために喧々諤々と議論しましたね。

野元
その考え方や判断軸は、神戸屋の経営者に代々引き継がれてきたものなのですか。
桐山
これまでの歴史を紐解いて、堅実でありながら野心を持った会社だと認識しており、先代からの影響がないとはいいません。しかし、そのまま引き継がれたというより、むしろ自分で考えて決めることを是とする環境のもと、自ら見出してきたものと思っています。そして、経営企画という立場で全社を俯瞰して見るようになり、次の100年を構想する中で、包装パンの製造・販売事業の分社化・譲渡を考えるようになりました。

現状維持のマインドを否定する仕掛け

水田
主力事業を譲渡されるという構想は、どのように生まれてきたのですか。2018年に留学から戻られて、経営企画部部長や経営戦略室室長を経て社長になられたのが2021年ですが、当時はコロナ禍の渦中でもありましたね。
桐山

まさにコロナは、神戸屋の「なぜ」「何のために」を突き詰めて考えるきっかけともなりました。もともと神戸屋は、パン食文化を広めて日本社会を豊かにすることを命題に、包装パンの製造やベーカリーレストランの直営、冷凍パン事業などへと多角化を図ってきました。しかし、いつしか手段であるはずの事業の継続が目的化し、売上や損益に囚われるようになっていたんです。中でも包装パン事業は“規模”や“密度”が強みとなる事業で、売上やシェア至上の考え方に固執する傾向がありました。

それぞれの事業が継続的に発展していくために、そして会社が世の中に価値を提供し続けるためには、どのような姿になるべきなのか?ーーそんなことを自問自答する中で、神戸屋としては量的なインパクトではなく、「パンそのものの価値を高める」という軸と、「パンのある豊かな生活シーンをもっともっと増やす」という2つの軸で、独自のインパクトを出す企業体への変革を決断し、包装パン事業は別のカタチで継続していくことを選択しました。

野元
しかし、包装パン事業は会社の大きな成功体験であり、その分社化・譲渡という打ち手に関係者が合意するのは、そう簡単なものではないでしょう。特にファミリービジネスでは、経営者や株主とは別に、創業家という立場での思いや価値観なども、ビジネスの意思決定に影響すると言われています。それが企業としての結束を高める一方で、様々な思惑が絡んで軋轢が生じれば、組織が瓦解するリスクにもなり得ます。事業譲渡における、背負ってきた歴史や人間関係など「情理の葛藤」には、どのように折り合いをつけてきたのでしょうか。

参考:ファミリービジネスマネジメントの観点

桐山
桐山家ではビジネスに関わる創業家を限定するよう意識してきました。現在、会社から見た創業家の主な登場人物は父と私の二人だけなので、その認識合わせが必要になります。それぞれが「どうすれば神戸屋が今後100年にわたって存在意義を発揮できるのか」を考え抜き、周囲を巻き込みながら意見交換や議論を重ね、分社や事業譲渡という収束点を見出して行きました。その過程で父や主要な幹部とは共通認識が形成され、その決断を実行する先導役として「社長をやらせてほしい」と伝えたときも、すぐに受け入れてもらえたのだと思います。

参考:ファミリービジネスマネジメントの観点

野元
創業家としての矜持を持ちながら、時代の変化に適応しようとする"二人の社長”が共通認識を持てたことが大きいのですね。しかし、世代も異なれば、経験も、得てきた情報も異なります。齟齬は生じなかったのですか
桐山
意見をすり合わせようとすると、“手段”の話で紛糾しがちです。そこで、強く意識したのが、「目的と手段を分けて話をする」ということでした。目的を確認し合う過程で、「大切にしていきたいこと」や「実現したい状態」まで共有できていれば、たとえ手段が違っても「そういう方法もある」とお互いに受け入れることができました。その上で優先順位付けについては、「合理的判断」と「情理的な納得感」の両方が揃う必要があると考え、合理性については会社の業績や経済状況などの数字を開示・共有すること、情理についてはとにかく丁寧な対話を心がけました。
水田
そう考えると、承継は先代から始まった地続きの取り組みとして、神戸屋のCXのための手段であり、分社化や事業譲渡などIXのための地ならしでもあったのでしょう。
桐山
今となってはそう理解しています。父からのバトンを私が引き継ぎ、承継によって「神戸屋が変わります」という社内外への宣言になりました。変革のために承継を利用したともいえますが、工夫してそうしたというより、そうせざるを得なかったというところでしょう。それができたのも、第三者の客観的な視点や専門性があったからです。情理の両立に親子関係が混じってしまうと、お互い素直になれない部分があるので(笑)。関わってくれた役員はもちろん、たとえば業績の数字を第三者視点でまとめて示してくださるIGPI(株式会社経営共創基盤)さんの存在は大きかったですし、情理的な部分を理解しつつ、組織や制度づくりにアドバイスいただけるブリコルールさんにも助けられました。冷静に事業や組織について話せる環境づくりは重要だったと改めて感じます。

変化への機運を高める新企業理念「KOBEYA Essentials」の策定と浸透

水田
経営者であり創業家であるお二人の合意形成がなされても、社員の理解を獲得するのは難しいことです。特に祖業である事業の分社化・譲渡を「目的のための手段」とするのは、そう簡単に受け止められるものではありません。事業譲渡の交渉中だった2021年4月、社長に就任された際には、どのようなメッセージを社内に発信されたのでしょうか。
桐山
あの頃はとてもセンシティブな時期でした。社長就任は、変革の狼煙をあげるという意味では分かりやすいメッセージですが、まだ事業譲渡の件を知るのは役員と一部の社員のみでしたから。先方との交渉中で言えないことも多く、慎重に言葉を選びながら、「変わることの重要性」を日々伝えていましたが、漠然としたメッセージに戸惑った人もいたかもしれません。むしろ、コロナ禍だったこともあり、「Essential」というキーワードで「お客様になくてはならない存在になろう」と呼びかけたのですが、そちらのほうが実感があったと思います。
水田
役員、特に現場に近い本部長クラスの方々に対してはいかがですか。
桐山
この層のメンバーとは社長就任前から月に1~2回はミーティングを行い、事業譲渡についての交渉の状況はもちろん、やるべきことや財政面など包み隠さずすべてオープンにしていたので、驚きや混乱はなかったと思います。ミーティングでは、全社における課題点を出して共有し、残る事業については「何を大切にすべきなのか」、旅立っていく事業は「どうすれば事業的な可能性が開けるのか」をそれぞれに時間を割き、心を砕いて話し込みました。そこで納得感を醸成することができたのではないかと思います。また、22年8月に事業譲渡の件を一般公開した後は、アルバイトを含めた全従業員に対して全ての工場で説明会や質疑応答を行い、できる限り私も参加するようにしました。
野元
22年8月のプレスリリース後の説明会は、コロナ禍を経て、社長に就任後の大任だったと思います。どのような思いで向き合われたのでしょうか。

桐山
事業譲渡の話はもちろんインパクトがある内容なのですが、それ以前から社内には「漠然とした不安」があると感じていました。何が悪いのかはっきりしないけれど、中層部で辞める人が出て、コロナもあって業績は悪化する一方で…。変化しないことによる根拠のない不安ですね。そんな状況に対し、その理由や課題を可視化して公開し、さらに改善・変革しようとしていることを強く伝えたかったんです。状況が良いわけではなくとも、漠然とした不安よりも、明確な課題や対処法を示される方が人は安心すると考えました。実際、最悪は工場を閉鎖する、解雇されるのではと思っていた人も多かったようで、「神戸屋」ではなくなったとしても雇用が守られることに安心された方もいらっしゃいました。
水田
23年5月に、分社化後の新生神戸屋の理念の再策定ということでお声がけいただきました。久しぶりのCXOの皆様との再会でもあったのですが、これまでのプロセスでじっくり対話されていたと伺えるような良い関係性で、討議が進んだことを記憶しています。そして、再策定された理念=「KOBEYA Essentials」を、全18回の「社長キャラバン」として社長やCXOの方々が直接現場に出向き、自分の言葉で丁寧に説明し、真摯な質疑応答を積み重ねられたことが私自身も忘れられません。特に桐山さんが、回毎に使う言葉や例えを変えておられたことが印象的でした。
桐山
事業譲渡についての説明会も、理念共有のキャラバンでも、伝え方は意識しました。根本的に「同じ人はいない」と踏まえつつ、会社の決定には全員に共感してもらう必要があります。私はお願いする立場なので、できる限り工夫したつもりです。社員一人ひとりが何を考えているのか、どう伝えたら理解しやすいのか、求めているものも違うので、それに合わせて伝える必要があると思っていました。ただ、事業譲渡の説明会において、私も意外だったのが、社員の方々の反応です。「安心した」「ありがとう」という言葉をいただくことも多く、少し戸惑いつつも嬉しかったですね。
水田
おそらく桐山さんの誠意というか、従業員の働く場を守りたいという思いが伝わったのでしょう。事業のスキームが変わるのは、変革に向けた揺らぎを起こす意味ではとてもパワフルなのですが、一方で強制力が働き過ぎて一部にハレーションを伴います。桐山さんのソフトなリーダーシップがあってこそ、そうしたポジティブな受け止められ方をしたのだと思います。また、変化期は様々な不安や疑心暗鬼が渦巻くものです。このキャラバンがそれらの負の感情を大きく緩和する効果があったのではないかと感じました。
桐山
会社を承継する側は、できるだけ"よい状態”でバトンを渡したいのだと想像しますが、実際は変革前夜から承継される側も一緒になって渦中に入り込むことが重要ではないかと思います。変革を進めるのは承継後のリーダーなので、コアメンバー選びにはじまり、それらのメンバーとの関係性の構築などを通じて、変化期の前の解凍期、さらにはその前から、当事者意識を持てるかが鍵となる気がします。
今は、トップが変わるということで根拠のない期待も持ってもらえる“ボーナス期”にあると思います。だからこそ、絵に描いた餅にならないよう、しっかりと成果を出していきたいと考えています。

早期の成功体験と目に見える変化の創造

水田
早期の成功体験という意味でも、先ほども触れた新規事業である「サブスク事業」が既に立ち上がっており、さらに新業態である「PIE mania(パイ マニア)」を早期に立ち上げたというのは、社内外に向けた良いメッセージ発信になったのではないでしょうか
桐山
まだ粗くはありますが、挑戦や変革という言葉が飾りにならないよう、早期に実践に移したつもりです。部門をつくってやる気のある人を集めて、「自分たちでもできるんだ」と実感を持ってもらいたかったんです。CX文脈で言うと、事業ポートフォリオの変革が注目を集めますが、もともとずっとやりたかったのは組織風土の変革です。「KOBEYA Essentials」の中では、ミッションとして「パン業界の新時代をカタチにし、業界をバージョンアップする企業となる」と定めています。余白のある表現ですが、それは社員の一人ひとりが主体的に問いをたて、考え、仲間と実践する風土を創りたいが故のことです。現在、ブリコルールさんにご支援いただいている新しい人事制度も、そのような人づくり、風土づくりにつながればよいと思っています

「KOBEYA Essentials」を起点に皆が課題発見・解決が出来る組織へ

野元
そもそものお話になりますが、社長就任から事業変革、新しい組織・制度づくりと経てこられて、ファミリービジネスの承継として創業家であることを改めて意識されたのではないですか。
桐山
本当に、入社時と比較して、それは強く感じるようになりましたね。実は神戸屋入社を決めた動機の一つに自分のキャリアアップもあったんです。自己的な考えですが、この規模の会社の経営者になるチャンスだと。もちろん、経営者としてやりたいことを追求するなら、極端な話、ゼロスタートの方がいいし、神戸屋でなくてもいいのではと考えたこともあります。ただ今は神戸屋創業家の一人として、自分の役割を考えることの方が強いですね。神戸屋には積み上げてきたものがあり、他にはできない今の時代に提供できることがある。その価値に気づく一方、過去から「大事にしてきたこと」が失われつつあるという危機感があったからこそ、「自分がそれをやらなくては」と切り替わったのだと思います。
水田
その真摯さは多くの人たちの心を掴んだのかもしれません。先にも触れましたが、キャラバンの内容を毎回バージョンアップされたり、人事制度プロジェクトの際には「改めてインプットしたいので参考図書が欲しい」とお声がけいただいたり、桐山さん自身がどん欲に学び、変化されようとしています。

桐山
そうおっしゃっていただけると励みになります。せっかく専門家の方々にご依頼するのだから、アドバイスされたことはひとまずやってみようという気持ちでいました。IGPIさんにも「私たちはツールなので、使いこなしてなんぼです」言われたので、失礼ながらフル活用させていただきました。ブリコルールさんも特に私たちの事情をよく知ってくださって、その上で神戸屋に合ったものを提案してくださっていると感じています。
野元
ありがとうございます。まだまだ人事制度や組織づくりはこれからというところですが、今後、どのような組織、人づくりを目指そうとされているのか、お聞かせいただけますか。
桐山
先に申し上げたような、「KOBEYA Essentials」の実現、実践に向けて「主体的に考えて動ける人」を増やしていくというのが1つ。そして、今後必要になってくるのが、「課題を発見する能力」だと考えています。神戸屋は高い管理能力・技術力を持ち、問題解決能力はかなり高いレベルにあると思います。だから、経営側から課題を示すと、高い品質で解決してきました。しかし、変化の激しい時代にあっては、現場で課題を見つけて解決したり、全社に発信したりという「課題発見力」が重要になってきます。その力を育む方法については、まだ私も見い出せていませんが、一つは社内外の様々な価値観や考え方に触れて視野が広がることと考えています。そこで、そうした外部との接点の機会を創出し、その先に課題発見能力の向上があれば望ましく思います。
水田
実は、先日御社のある社員の方と話をした時に、「以前も今も課題が山積みなのは変わらないけれど、今はそれが解決できるというポジティブな心持ちでいられる」と話されていました。今の課題が解決できるというマインドがあれば自然と新たな課題に気づく視野や余裕ができるのかもしれませんね。
桐山
それはあるでしょうね。ぜひ、そうなっていくことを望んでいます。
野元
さて、まだ少し早いかもしれませんが、次代への継承についてはどのようにお考えですか。
桐山
具体的には全く考えていませんが、創業家かどうかに関わらず「時代と目的に合った人」と考えています。実際、過去にはプロパーの社長がいたこともありますし、創業家社長にこだわりはありません。少なくとも子どもたちについては、自分がそうだったように、様々な可能性の中で人生の選択をしてほしいと考えており、継ぐことを前提にしていません。だから、私にできるのは、他の選択肢にも負けないよう、子どもたちが「かっこいい」「自分もやってみたい」と思えるような魅力的で可能性のある会社にすること。そのためにも全身全霊をかけて、神戸屋の存在意義や提供価値を高めていきたいと考えています。
野元
古くを温めつつ、新しく生まれ変わった神戸屋に期待しております。
水田
私たちも全力でサポートしてまいりたいと思います。本日はありがとうございました。

ブリコルール担当より

  • ブリコルール 代表 
    野元 義久

    変革理論のセオリーである「解凍に十分な時間をかけ力を注ぐ」ことや、ファミリービジネスのリーダーに期待されている「子どもにとって魅力的な会社に仕上げていく」ことを愚直に実践されている稀有なケースです。長いお付き合いをいただいていますが、今回取材で初めて知ったことがたくさんありました。語ることと語らないことを丁寧に仕分けておられるところにも、ファミリービジネスのオーナーかつリーダーとしての矜持を感じます。

  • ブリコルール 取締役 
    水田 道男

    私は桐山社長のことを「しんさん」と呼ばせていただいている。ググってみると、「晋」とは、前に力強く進むという意味と、抑える、慎むという二つの意味があるという。経営とは「or」ではなく「and」だと言うが、しんさんは、名からして「and」を体現しているようだ。時に優しく、時に厳しく、そんなしなやかなリーダーが先導する組織を、微力ではあるがもっともっとしなやかになるよう力添えをしたい、と心から思えるインタビューであった。

GUEST PROFILE

桐山 晋(きりやま しん)

株式会社神戸屋 代表取締役社長。1986年生まれ。京都産業大学外国語学部を卒業後、株式会社USENに入社。2012年に株式会社神戸屋に入社し、管理部門や店舗・製造現場での勤務を経て2018年に米国のコーネル大学ホテル経営大学院でホスピタリティ経営学修士号を取得。帰国後、2019年に管理本部経営企画部 部長、2020年に執行役員 経営戦略室 室長などを経て、2021年より6代目社長として家業を引き継ぐ。

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