写真左より:
北海道札幌市に本社を構える、創業77年のファミリービジネス企業・池田食品株式会社。二代目から三代目への承継の節目に、人事制度の刷新に取り組みました。現在、新しい人事制度と共に、三代目による新体制が順調に滑り出しています。同社はなぜ、このタイミングで人事制度の刷新に取り組んだのでしょうか。また、それは会社にどのような影響があったのでしょうか。二代目としてこれまで同社を牽引してきた会長と常務取締役、三代目を引き継いだ新社長、そしてノンファミリーの幹部にお話を伺いました。
池田食品は1948年に創業した菓子製造・販売を行う会社で、伝統的な豆菓子を主力商品としています。1984年には池田 光司氏(現・会長)が二代目社長に就任。以来40年間、安価な輸入商品の普及や、物流革命による本州企業との差別化競争などの環境変化に対応しながら、大胆な生産設備の切り替えや新商品開発、直営店オープンなど様々な施策を打ち出し、会社の成長を牽引してきました。
2014年に経済産業省「がんばる中小企業・小規模事業者300社」認定、2015年に北海道の農業と一体となった商品開発などによる農林水産大臣賞受賞、2017年に29回全国菓子博覧会三重大会において厚生労働大臣賞受賞など、同社の事業や商品は世間から高い評価を受けています。

かつて光司氏は、創業者である父親の他界直後に同社を継ぐことになり、苦労の絶えない日々を過ごした経験から、自身に余力があるうちに経営のバトンを次世代に渡すことを考えていたそうです。
「最初から子どもたちの誰かを跡継ぎとして育てたわけではなかったのですが、子どもたちはそれぞれ自らの意思で当社に入り、経営の一翼を担ってくれていました。自分が元気なうちに、その中の一人に社長の座を譲り、新体制の立ち上げをサポートするのが良いだろうと考えたのです。しかし、親として子どもたちへの公平性を意識するあまりに、なかなか承継者の判断がつかず、先延ばしになっている状況でした」(光司氏)

池田光司氏
また、光司氏は、継承について何が大切なのか模索していました。その中で目を向けたのが、新たな人事制度の策定です。
「従来は、私の個人的な想いで人事評価をしていたところがあり、ある意味、私自身が評価基準のようなものでした。そのような状況で代替わりすることで、評価する基準が変わってしまうのではないか。また、何が基準なのか見えないままでよいのか。そこで、評価制度を確立することが必要、という考えに至りました」(光司氏)
光司氏の妻であり、常務取締役を務める池田 志津子氏もこう振り返ります。
「かつて当社は、社長に権限が集中する、いわゆる“文鎮型”の組織でした。トップダウンで迅速な意思決定を行うことが、会社の規模にも時代にも合っていたのだと思います。しかし、現在はトップがすべてを判断するのが困難な時代です。おかげさまで社員も増え事業も発展しました。これからは社員一人ひとりが知恵を絞り、自律的に動くことが求められます。それを後押しする人事制度を新たに策定する必要性を感じていました」(志津子氏)

池田 志津子氏
光司氏も「人事制度の整備はスムーズな事業承継の重要な要素である」と認識しながら、着手のきっかけを掴めずにいたと言います。そんな時に出会ったのが、ファミリービジネスアドバイザー資格ももつブリコルール代表・野元です。光司氏の次女が東京で開催されたセミナーに参加し、その講師だった野元に声をかけたことをきっかけに、野元が同社を訪問。光司氏や志津子氏が抱えていた承継にまつわる悩みや組織における問題意識を紐解いたことから、人事制度策定プロジェクトが動き出しました。
光司氏・志津子氏とその子どもたちで構成される経営チームは、約1年間にわたる人事制度策定プロジェクトに取り組みました。
最初に取り組んだのは、人事制度設計の基盤としても重要な経営理念の整理です。これまでも同社には経営理念・方針や行動指針が掲げられており、加えて光司氏が発信してきた多くの言葉が存在していました。それらを一つひとつ洗い出して解釈をし直し、経営チームで議論を重ねながら、未来に向けて取捨選択と文言の精査を実施。結果として、経営チーム全員の思いが詰まった新たな企業理念として生まれ変わりました。

この新たな企業理念を礎にして具体的な人事制度の設計に着手。組織人事システム全体のポリシーを言語化し、そのポリシーに則って等級制度、評価制度、報酬制度を構築していきました。
こうして完成した人事制度は、非常にシンプルなものとしました。池田食品における普段の仕事の仕方やコミュニケーションの特徴を踏まえ、また多くの社員が制度の運用に慣れていないことも見据えて制度の運用負荷を最小限にすることを選択したのです。さらに、メンバーを評価するリーダー層を対象にマネジメントの基礎スキル研修会も実施し、スムーズな運用への道筋を整えました。
一連のプロジェクトを支援するブリコルールは東京を拠点としていますが、期間中、何度も同社に足を運び、メールやオンラインでもきめ細かいフォローを行いました。「以前に違うやり方で導入しようとした報酬制度の設計は頓挫してしまいました。今回もブリコルールさんの粘り強い力添えがなかったら、人事制度は未完成だったでしょう」(志津子氏)、「ファミリービジネス特有の事情も理解したうえで、様々な困難を紐解いていってくれた」(光司氏)と、北海道と東京の距離は、プロジェクトを推進するうえで大きな問題ではなかったようです。

この新しい理念と人事制度を、ノンファミリーの社員はどのように受け止めているでしょうか。生産本部 工場長の牛木 隆弘氏と総務部 部長の野瀬 ゆかり氏とにお話を伺いました。
まず、新しい企業理念と人事制度の発表を聞いた時の印象については、「最初は新制度への戸惑いもありましたが、それ以上に、これを軸に働く人達の安心やモチベーションにつながっていくことへの期待がもてたという印象でした」(牛木工場長)、「新しい企業理念の言葉はすっと胸に入ってきました。平易でわかりやすく、経営チームの皆さんが頭を悩ませながらつくっている姿を横で見ていたこともあって、親近感がわきましたね」(野瀬部長)と、前向きな言葉が出てきました。

牛木部長(写真左)と野瀬部長(写真右)
管理職として初めてのメンバーの評価や面談を行うことは、決して容易ではありませんが、2人は「メンバーの振り返りコメントに対し、褒めるだけでなく、次への意欲につなげる上司コメントをどう書くか悩ましい」「本人に次の等級へと進んでもらうための説明は簡単じゃない」「みんなが『この1年頑張った!次も頑張ろう!』と思える面談や評価にするのが私たちの仕事」と試行錯誤しながらも、新しい人事制度の趣旨を理解して意欲的に取り組まれています。
この過程で、気づいたことや心境の変化もあるようです。
「評価面談をすると、メンバーのみんなが、本社からは見えにくい店舗の状況や日々の努力について、積極的に伝えてくれます。その姿勢から、自分たちの頑張りを知ってほしい、適正に評価してほしいという思いが、思っていた以上に強かったんだということに気づかされました。そうした思いを受け止める場ができたことは、メンバーのモチベーション向上にもつながっていると感じています。
また、私自身にとっても、この面談は本社と現場の感覚とズレを調整する貴重な機会です。メンバーの声に耳を傾けたうえで、みんながより楽しく、働きやすい環境をつくっていけるように考えていかねばと、身の引き締まる思いです」(野瀬部長)

人事制度を軸とした会社全体の変化に対する期待感も聞かれます。
「こうして明確な評価基準が整ったことで、社員の働きが給与に反映されやすくなりました。その結果、この会社で働き続ける将来像を描きやすくなり、『もっと会社に貢献したい』という思いを持つ社員が増えてきているように感じています。こうして一人ひとりの意識やスキルが高まることは、商品の品質や安全性の向上、さらには長期的な人材確保にもつながり、これからの池田食品にとって良い影響をもたらすと思います」(牛木工場長)

本プロジェクトの進行の過程と並行して検討されていた会社の承継にも、重要な進展がありました。光司氏が、長男の浩輔氏に次期社長の座を託す決断を下したのです。これに伴い、本プロジェクトも途中から浩輔氏が陣頭指揮を執るようになりました。その時の心境について浩輔氏はこう語ります。
「プロジェクトのスタート当初は、どちらかといえば受け身の姿勢でした。しかし、社長として会社を担っていくことが決まり、自分なりの成果を形にしたい、と意思をもってプロジェクトに取り組むようになりました。この過程の中で、少しずつ跡継ぎとしての覚悟も固まっていったように思います」(浩輔氏)
2024年、人事制度の運用開始とほぼ同時期に、浩輔氏が正式に社長に就任。先代とは異なるリーダーシップを発揮し、これまで以上に現場に権限を委譲し、社員一人ひとりに考えさせ、出てきた意見を取り入れるという、“全員参加型”の組織運営に取り組んでいます。
「新しい人事制度のスタートと社長の交代をほぼ同時に行ったことは、社員のみんなも会社を前に進めていく当事者として考えるきっかけにもなったように思います。中には、同じ方向を向いて一緒に歩もうと、私の背中を押してくれる者も。今後のさまざまな苦難にも、きっと彼らと力を合わせて立ち向かっていけるのではないかと、非常に頼りにしています。社長就任から約1年が経った現在、とても幸せな状態だと感じています」(浩輔氏)

池田浩輔氏
浩輔氏が「とても頼りにしている存在」というノンファミリーの幹部2人は、新体制以降の自身や組織の変化についてこう話します。
「これまでの私は、指示されたことを枠の中でこなすという意識だったと思います。しかし、最近は浩輔さんから『野瀬さんならどうしますか?』『一回野瀬さんの思うようにやってみてください』などと委ねられることが増え、いったんは指示されたことにも自分の考えを乗せて枠を越えていこうという意識に変化してきました。会社と自分が近くなったような感じです」(野瀬部長)
「以前は、社員は横一線という雰囲気があり、私も突出した言動は遠慮していた節があります。しかし、浩輔さんは現場の話を聞こうとしてくれます。その中で、私自身、工場長という責任ある立場になったこともあり、自ら行動を変えました。社員のみんなには楽しく仕事をしてほしい。そのためにはファミリーとかノンファミリーとかは関係なく、意見を出す必要がある。そう考え、頻繁に社長に相談や提案をするようになりました」(牛木工場長)
今後についても、「経営チームと社員をつなぐ役割を担っていきたい」(野瀬部長)、「経営チームともっと話し合い、もっと改善や新商品につなげていきたい」(牛木工場長)と意気込みが聞かれます。
こうして新体制は順調に滑り出したものの、今後の事業の持続・発展のために取り組まねばならない課題も少なくありません。特に浩輔氏が強い問題意識をもっているのが、社員の給与水準の向上です。これを実現するためには事業利益の拡大は至上命題です。
「僕らの利益の源泉は何か。それはやはり、ミッションにもある『美味しい』ということでしょう。心を込めて美味しい商品を作り、サービスを含めて唯一無二のものをお客様にお届けすることで、利益を上げ、それを社員に還元していきたいと考えています。
とはいえ、目先の利益だけを求めるのではなく、豆菓子を通じた文化の継承も大切にしていきます。ビジョンに『北海道に誇れるお菓子メーカーになる』を掲げているとおり、自分たちが誠実に取り組んでいることを、これからも私自身はもちろん社員のみんなにも誇れるようになってほしいのです。これから、もし苦境に立たされた時でもこのビジョンを忘れないよう、胸に刻んで取り組んでいきます」(浩輔氏)

組織には新しい風が吹き始めましたが、浩輔氏は、先代が築いてきた経営ポリシーを大きく変えるのではなく「解釈し直して自分の言葉として紡いでいく」という姿勢を大切にしています。現在、会長として新体制を見守る光司氏は、「新社長の特徴を活かして、自分なりの形ができつつある。ひと安心ですね」と柔らかな表情で語ります。
承継の節目に、あえて人事制度の刷新に取り組んだ池田食品は、社員一人ひとりが考え、行動する組織へと着実な変化を遂げつつあります。
