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  • 2020.06.03

    「オンラインというか、オフライン」

    野元義久

    貴重な2ヶ月には感謝する

    最近では聞きなれてしまった序文かもしれませんが、やっぱり書かせてください。

    どの地域にも区別なく、どんな立場の人にも遠慮なく、新型コロナウィルスは大きな影響を与えました。
    直接的に病というダメージを受けた方々がおられます。回復を祈ります。ライフラインを守って最前線を務めて頂いた方々がいます(私の周りにはこの方々が多かった。おつかれさま、ありがとう)。
    そして自粛に努めた私たちがいます。それぞれにとっての非日常はやがて日常になりました。

    誰もが生活、仕事、関係、社会、世界、そして自分のこれからの人生について考えたのではないでしょうか。多くの人に考えることを強いた事件、いや事変。もちろん私にとっても貴重な時間になりました。
    これまで、どんだけボーッと生きてきたかのを思い知る日々でした。4月からリモートワークを徹底し、これからのことを考え、できる活動に励みました。私にとって、とても貴重な機会となった2ヶ月に感謝します。

    ボーッと生きてきた自分への挑戦状

    私はとにかく運が良いのです。
    なんとなく願うことはなんとなく叶ってきたと思います。出会いたいなぁ…と憧れる人たちともつながることが出来てきました。私のFacebookにはなぜか素敵でスゴい人たちがいっぱいです。
    運は引き寄せるものであり、生き方で運命が変わると言いますから、私も多少の努力はしてきました。ズルという努力もたくさんありますが(笑)。
    これらの努力で手にしたささやかな幸せの分だけ、ホントの大事なことは後回しにしてボーッと生きてきたことを思い知りました。
    実はずっとわかってたんですよね。今年の元旦に“1年後に長期オフを取って旅に出よう”と考えたんです。これからの生き方を決めるために、出会い、学ぶ旅に出ることを決めて仕事の調整を始めていました(これ、社内の人たちにもまだ内緒だったんですけどね)。
    そこまでして日常をきちんと切り離さない限り、怠惰な自分は大事なことを後回しにすることを知っています。
    そんな、ボーッと生きながらえていた自分に、自粛という事変が迫ってきました。
    「まさかあと1年もボーッとするつもりじゃねーだろーな!」。

    オンラインというオフラインに気づく

    ホントの大事なことに向き合えた2ヵ月でした。
    仕事も対面をやめ、オンラインに切り替えました。一方でスゴい人たちがたくさんいるFacebookへの投稿はやめました。つながっている感でなんとなく安心してしまう日常の自分を制したいからです。
    そうなんです、オンラインのみでコミュニケーションするという環境は、私には「オフラインな毎日」だったんです。これまでのほとんどのラインを断つ(オフ)する期間になったんです。
    ※このあたりからオンラインとオフラインの言葉の定義自体が気持ち悪くなっていきますが、なにとぞ軽く流してください(笑)

    オフラインな毎日からはたくさんの気づきがありました。
    息子がこんなにワガママを言うようになってたんだ、ということ。そのワガママは保育士の先生方が毎日丁寧に向き合ってくれていたこと。
    小さな遊び場で出会うママ友さんたちが他のパパさんとはお話しても私には話しかけてくださらないこと…怖いのかな、ということ。
    生活しているだけで綿埃は積もること。自分でも掃除機がかけられるということ。3食用意するってのは一日中ご飯のことを考えてるってこと。
    書斎を楽しくするためにお香を買おうと思ったら、前にもたくさん買ってあったってこと(奥さんが何個もあるよ・・と)。生まれて初めて楽器を買ったら意外と楽しいってこと(ゴンチチさんの♪放課後の音楽室♪は単音ながらも弾けるようになりそうです)。
    オンラインワーク環境で、他がオフラインになったから気づけたことがたくさんありました。

    言っちゃいけないかもしれない気づき

    オフラインから気づいたたくさんのことに対して、オンラインワーク環境で気づいたこともあります。私にとってはとてつもなく大きなことです。言っていいのかな・・とためらいますが・・書きます。
    それは「空気を読まない方がいい」ということ。
    私はファシリテーターという職業人です。効果的に場を進めるためには、合理だけでなく情理を扱う必要があります。「理屈はそうなんだけどさ…」となって現実が動かないようではファシリテートは失格です。だから情理にも焦点を当てます。人や組織には感情があり、そこを見立ててしまうのが職業病です。

    このクセには反作用もあります。言わなきゃいけない場面でも、実は言いたい場面でも、自分の意見を言えなくなるんです。相手の感情をいち早く察知してしまい、引っ込めたり、そもそも言わなくなったりします。
    これをオンラインだと“やらなくなった”んです。はじめのうちは画面越しに反応を拾おうと必死になりましたが(あくまで自然に必死なんですけど)、いくらやっても表情も仕草もわかりません。疲れ果てて、やらなくなったんです。開き直りました。

    半自動で動いていたことがなくなると、自分にスペース(余地)が生まれます。
    自分の考えに集中する時間ができます。やがて、自分のアタマとココロに誠実に向き合った言葉を発するようになります。スベることも増えたんですが、圧倒的に気持ちよく過ごせるようになったんです。もはや空気は読んでません。
    そして、意外にも、たいした問題は起きないのです。空気もさして悪くはならない。

    なんだ、これは?なんじゃこりゃー!

    これ、自分にとってはコペルニクス的転回なんです。黒船来航と言ってもいい(歴史は苦手なので、そのくらいデカいことだと言いたいだけです)。

    なんだ、言ってもいいんじゃん!
    言えんじゃん!
    言いたいこと、あるんじゃん!
    ボーッとしてたこともちょこっと刺激したらちゃんと出来んじゃん!
    んで、楽しいじゃん!
    ※なぜかここは東京弁になりましたが調子に乗ったモードということです。

    オンラインというオフラインだから出来たことです。
    これをウチの西村くんは「平等性」と表現しています。彼の方が俯瞰的ですね。
    http://brico.ne.jp/blog/work-online/

    大げさに言うと、自分が花開く感じなのですね(52歳でも?)。
    そして小さな石は転がり始めると、新しい展開が生まれます。やっぱり私にとって大切なテーマは“ブリコルールという船をどう舵切るか”です。このテーマにおける思考や対話がとても深まりました。オンラインというオフライン環境を活かして考えてきたこのテーマについては、次回、書いてみたいと思います。

    まずはオフィス(渋谷)に出勤するようになっても、近くに住んでいるチコちゃんには叱られないように。

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