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  • 2018.03.05

    個人と、分人・間人

    水田道男


    次女の高校受験が一段落した。
    昨年の長女の大学入試に続いた山を無事に越えてくれた。
    長女は、この1年で大きく変化したように見える。家族側が働きかけを変えた訳ではなく、勝手に変わっていった。大学、サークル、アルバイト等急激に多様化した外との繋がりが契機となり、変わっていったのだろう。いやもしかすると、変わったのではなく、平野啓一郎さんが言う分人としての彼女が顔を出し始めたということだろうか。
    次女も、本人が望んで地元の学区を越えた高校へ入学することになり、私たちがまだ見ぬ分人部分を見せてくれることが楽しみだ。

    この分人というコンセプトに出会った時に、思い出したのが浜口恵俊さんが1980年代に唱えておられた間人という言葉だ。1990年前後に大学にて日本的経営について学んでいた時に出会った言葉だ。日本語の表記よりも、“the contextual”という英訳に物凄い腹落ち感を感じたことを今でも鮮明に覚えている。

    荒木優太さんがこの二つを、「分人が複数の分割的な「私」に軸足があるのに対して、間人は文脈の変化に即応する可変的な「私」を見出している」、と非常に分かりやすく整理されているのだが、いずれにせよ個人(individual)という「分割不可能な唯一の人格」という考え方から一線を画すものだと思う。

    本ブログに先立つ形で、社外の方々との勉強会の試みを野元が紹介している。
    (リンク先:http://brico.ne.jp/blog/studygroup/

    私たちの仕事は、突き詰めると組織や人が(良きと思われる方向へ)変わるお手伝いということになるのだと思う。
    その時に、組織や人そのものを対象にするだけでなく、その文脈をも視野に入れることがとても大切なことだと最近感じる。もっと言うと、文脈を適切に変えられれば、それに応じた分人や間人が立ち現れるのではないか。

    第一回の勉強会で野元が取り上げる「マネジャーへの変態」のキーの一つは、この文脈変換の適切なトランジション体験ではないかと思う。
    今までの文脈を振り返り、それに終止符を打つ。そしてニュートラルで不安定な自分を自覚し、次なる始まりに備える。このような経験や場をどのように設計するのか?
    そんなことも皆さんと対話できると嬉しいな、と。

    そして、個人的には、この試みが、私たちブリコールにとっても、新たな分人・間人的個性の出現につながるのではないかと期待もしている。私たちにとっての新たな文脈作りという意味でも、多くの方にご参加頂けることを願っている。

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