「リーダーシップバブル」は続いていますね。なんでしょう、この言葉の万能感(笑)。
誰も否定出来ない、誰もが誰しもにする期待。「リーダーシップはどの立ち位置からでも発揮出来る」と言われます。私もそう思います。そしてコッターさんが提唱した「マネジメント」ととの比較あたりから、リーダーシップが良い子、マネジメントは悪い子のような扱いをし、個人に変容を求め、孤高の組織変革を期待する風潮さえありますね。
でも・・ですね、
経営や人事が「リーダーシップを発揮しよう」と言う時、何か「棚上げ」にしていないでしょうか。環境を整えずに期待し、その「整える」ことさえも個人に丸投げしていると感じます。仕組みを変えるより先に、個に期待する経営・・。
一人一人に求めるよりも経営が仕組みを変える方がレバレッジは効きます。例えば、上長からの関わりを変える(上長を指導する)、レポートラインや会議の仕組みを変える(なくす)、評価・賞賛する内容を変える、など。
特に、個人が担う仕事を変えずに新たな試みを求め(足し)ておいて、失敗は許容しない・失敗を個人責任で追及するのでは「やったもん損」ですから、結局、誰も何も始めません。
まずは上層部が環境を変える責任を持ち、変革へのリーダーシップを発揮して欲しい!と思うことは少なくありません。例えば経営会議の内容や進め方を見つめてみると、経営としてのリーダーシップの発揮ポイントが見えてくると思います。
そして、その、自身のリーダーシップの発揮経験から、
リーダーシップには発揮スタイルと、発揮タイミングに多様性があることを受け止めて欲しいのです。
先日ご一緒した、クリスティーネ・ソイス=シェッラーさん(ホラクラシーなどを研究・実践)は、
『“個人の目的”と“組織の目的”は違う、とクリアにしよう。個人は自身の目的に照らして、目的を持った組織への参加を選ぼう』
と言われていました。要するに、個人ごとの欲求、目的に忠実に生きることを提唱されています。これは、“何について”“どのような”力の使い方をするのかは人それぞれでいい、と言っていると思います。
私が長く学んでいる陰陽五行思想でも、人は個別の宿命(役割)を持ち生まれてくると言われます。「リーダーという役割が担うべきアクション」は共通でしょうが、その在り様は違います。新しいことや難しいことに取り組むエネルギーは、その人の個人の目的、宿命に源泉があります。よって、ステレオタイプな、あるいは経営者が自分のリーダーシップスタイルを下敷きにしたリーダーの評価は稚拙です。
発揮するテーマ、スタイル、その発揮タイミングまでもが、個別で生成的なものです。経営や人事からのリーダーシップ発揮の操作には限界があると踏まえた上で、スキル付与や発揮を後押しする機会提供をすべきです。
「リーダーシップを発揮しよう」と言う人の在り様こそが、リーダーシップを試されるなぁ・・と思います。
私の場合は「ファシリテーション型リーダーシップ」です。8月21日・9月5日のBRICOLEURセミナーでもそのエッセンスをご紹介します。ご興味あればご参加ください。
→http://brico.ne.jp/new/bricoleur-seminar180905/
※オフィスに掲げている青蓮院門主に頂きました書、最澄さんの言葉です。