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  • 2016.03.31

    狂っているのは、誰か?

    野元義久

    ちょっと過激なタイトルになってしまったかもしれない。

    私たちは組織開発コンサルタントとして、生産性向上を目指して組織の慣行の是正を促す役割も担う。「望まない癖」を変えていくことを支援する。しかし「こうしていこうよ!」とみんなが表面的には納得する改革が上手く進まないことがある。どうしてなのか?…

    NHK真田丸が好評だ。

    熱狂的ファンの甥っ子へのプレゼントに買った「マンガで読む真田三代  すずき孔氏著」を先読みしていて気になるページがあった。

    真田信繁(幸村)の人気は「思い通りにならない人生の縮図への共感」ではないか?とある。※監修は「真田丸」時代考証を務める平山氏が担当。

    悲劇、無念、理不尽、の投影が人気を呼ぶのではないか、と書かれている。

    とてもわかる気がする。そういえば私も、演劇や映画でハッピーエンドより、人情味溢れて少し悲しげなお涙頂戴話の方が記憶に残っているような気がする。

    SMAPの解散騒動についても面白いコメントを見つけた。

    GQ4月号の小田嶋隆氏のコラムに「要するにオレたちは、若いヤツらが強い圧力の下で苦しんでいますっていうお話が大好きなんだよ」と、事務所とSMAPの関係を企業社会に投影した世論が載っていた。

    わかる自分にゾッとする。暴力性を感じる。どこか集団的イジメのようでもある。

    俺たちも苦しんだ。そのおかげで今の俺たちがある。だから愛を持って、苦しみに手を差し伸べない。ギリギリまで待つ。

    ではなく、

    俺たちも苦しんだ。その苦しみは通過儀礼だ。これがウチの文化なんだ。常識なんだ。だからおまえらも苦しむのが当然だ。この慣行も止められない。仕方ない。黙認する。

    ということだとしたら、狂っているのは誰か?

    組織の場合、望まない癖の責をトップに問うことが多い。しかし悪しき慣行を続けてしまうのは現場のベテランにも責がある。(もちろん、現場の悪しき慣行に気付いていないトップが多いことも問題なのだが)

    30年前、私は学生寮で青春時代を過ごした。この寮では夜ごとに後輩を呼び出し、暗闇で暴力を振るいタテ社会の序列を体に教えるという儀式があった。こわいことに先生たちも黙認していた。

    たまたま、私たちの世代はその儀式を続けなかった。自分たちが嫌だったことに、純粋にNOを提示した。それによって先輩から攻撃を受けた同級生もいる。それでもなぜか結束して止めた。今となっては理由もよくわからない。

    少々暗い話になってしまった。

    いま、あの悪しき慣行は全くなくなったらしい。世代の違いかもしれないが、あの時の改革への挑戦が影響しているなら、ふんばった同級生が救われる気もする。

    人は一人では狂えないのかもしれない。群集心理も少数から始まるならば、また違う少数が群集の心理に働きかけることが出来るはずだ。

    そういえば4月は多くの企業が新入社員を迎える。

    客観的な新入社員だからこそ気づく癖に対して、私たちは強引に蓋をすることも出来るし、興味を持って耳を傾けてみることも出来る。

    そして新入社員にも、群集に働きかける気持ちを忘れないで欲しい。

     

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