「ヨシサは田舎のやり方を知らんで。おいどがやらな、の。ないもわかっちょらんでな、こいは」
解読できるでしょうか。
<訳>
鹿児島弁です。大隅半島(桜島がひっついた、右側の半島)の鹿屋市で私は育ちました。
「義久(私)は田舎の慣習を知らないから、俺たちがやってあげないと(教えてあげないと)、
なぁみんな。何もわかってないからなー、こいつは」
9月、81歳の父が天寿をまっとうした通夜の席で、伯父が親族に向けた台詞です。
今回は自分や身内の恥ずかしいところを書きます。
親族の誰も見ていませんから、訴えられることもないでしょう(笑)
都会だけでなく、田舎も住家で通夜・葬儀を行うことは少なくなりました。余命も告げられていたので、
葬儀場は手配済で、私としては初めての喪主を滞りなく務めあげる意欲満々でした。
この時点ですでに私には“あれから一人、都会で仕事をがんばってきたんだ。
誰にも文句言わせないぞ”という気負いがあったのでしょう。
伯父が言う慣習とは、葬儀場と並行して住家でも近隣の方々に向けた葬の場を開くというものです。
意味がわかりませんでしたが、どうやら高齢の方々はどれだけ案内をしても“住家に来てしまうもの”
なんだそうです。その応対をしないわけにはいかない、ということです。
しかし、こちらとしてはまったくの想定外、かつ準備不足を指摘された格好になり
“田舎の慣習には従え!”“そんなの必要あるのか!”の小さくない対立が起きました。
私は感情的になり、板挟みになった葬儀担当者にはご苦労をかけてしまいました。
感情的になったのにはワケがあります。
私の“積年の恨みコンテクスト”が発動されたのです。
母が不慮の事故で亡くなった37年前、周囲からの関りに対して、
「言いたいこと、自分にとっての正しさを押し付けるだけ」
「誰も寄り添ってはくれない」
「傷に塩を塗り、徒党を組んでいじめる人たち」
という根深いオモイがあります。もちろん、これも一方的な解釈ですが、
以降、田舎と距離を置いたこともあってこのオモイは地に潜って根をはってきたと思います。
37年前の詳細は控えますが、ただ転ぶのは癪に障るので考えてみます。
火葬場までの行き帰りは考えるくらいしかやることがありません。
ブリコルールでは、
コミュニケーションは、コンテンツ層とコンテクスト層の2階建てで行われている
という考えを下敷きにしています。
①何が起きたか?
②互いの発言は何か?
③互いが言っていないことは何か?本音や発言を支える価値観は何か?
①と②がコンテンツ層、③がコンテクスト層です。
通夜のケースでは、
コンテンツ層
私:「そんなの必要ない」
伯父:「田舎ではそうするのが当たり前なんだ」
さて、叔父たちのコンテクストはどんなものだったのでしょう。
コンテクスト層
伯父:「助けてあげたい」「恥ずかしい思いはさせないように田舎の常識は教えておこう」
だったのかもしれません。
それはそれで、冷静になれば有難いお気持ちです。
しばらく考えているうちに、こんな可能性もあるな・・と至りました。
コンテクスト層
伯父:「田舎を捨てたこいつに、自分たちの存在意義をアピールしなきゃならない」
・・なんだか中島みゆきさんの「ファイト!」を思い出すような話です。
本人に尋ねてはいませんが、的を射てる感があります。
なぜかと言うと、僕が刺激され感情的になったからです。
前者のコンテクストならば、私はそんなに刺激されなかったはずです。
伯父の立場からみたら、私が田舎や親族の存在を否定しているのですね。
彼らにとっても積年の恨み辛みがあるのかもしれません。
そして、それは社会全体を見渡すと、他の地でも他の国でもあり得る構図です。
伯父と私の問題は、世界の問題の縮図です。
今回は自分たちが普段お伝えしているフレームで考察することで発見がありました。
そして簡単に問題解決が出来るわけでありませんが、ちょっと落ち着けるということを体感しました。
最近読んだ、由佐美加子さん・天外伺朗さんの
「ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー」
でもフレームに当てはめて考えると問題が外在化され冷静になりやすいという体験をしました。
さて、組織・職場にも積年の恨み辛みがあり得ますね。
それを解かしていくためには、共にコンテクストの層を降りていくしか方法がなさそうです。
共に地道に降り続ける関係をつくること自体が大変なのですが。
家庭も職場も、なかなかそうなっていない。灯台下暗し・・(苦笑)。